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鹿角婦人会の

発展と解散

二三年一月六日、鹿角婦人会創立以来第一〇〇回目の例会が、会員七〇余名、女生徒五〇余

〓、賛成会員二〇余名を集めて開催された。鹿角婦人会『日誌・第三号』によると、その状

況は次の通りである。

例会一〇〇回目を記念して、横町角の祝賀門に紅白の布をまき、青年会から贈られた「祝百囘式」の額が飾ら

れた。校門には大国旗をたて、式場には南部家寄贈の「祝」の大篇額をかかげ、すこぶる盛会であった。同時に

三〇〇余点の縫物・編物・裁縫品・押絵などの展示会が開催され、隣室には男子生徒の書画の展覧会があり、そ

の美麗なること目を驚かせり、という有様であった。この展覧会は六日から八日までの三日間開かれ、縦覧者は

無慮二、〇〇〇人以上という。

鹿角婦人会はその後ますます発展し、郡内各町村ばかりでなく岩手県田山村からも入会者がある程であった。

しかし日露戦争中にかけ婦人会に対する社会的要請が次第に大きくなり、三八年一月七日、第一三一回例会をもっ

て愛国婦人会と合併し、発展的に解散した。ただし小田嶋会長をはじめ、幹部は引続き愛国婦人会の運営にもあ

たった。鹿角婦人会の活動は、鹿角の婦人運動に大きな足跡を残している。

そのほか四一年結成の女子修養会、四〇年代結成の毛馬内婦人会等があり、それぞれ講演会や染色講習会の開

催など、活発な活動を行なっている(

第二一

表参照

)。