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車輪ははじめカナワ(鉄輪)製で曳くとガラガラ音をたてていたが、次第に棒輪となり空気入りゴム輪に改良
されていった。
営業用人力車のほか、自家用の人力車を所有している人々がいた。三八年花輪町赤痢流行時には、これら自家
用人力車を隔離病舎患者輸送用として、役場で借上げ使用していた(
「借上人力車下渡請求書』
囘町『事務簿」
)。
鹿角における人力車は二八年八八台、二九年一一二台(
『秋田魁新報三〇
年一〇月七日』
)であったが、統計は次のようになっ
ている。
第〓表人力車輛数の推移
なお人力車とともに普及したものに、お客さんの足元にかけたケット(毛布)がある。
客馬車
二〇年頃、郡交通の要衝である松ノ木に青森県碇ケ関から数名の者(氏名不詳)が来て、客馬
里を始めている。最新の商売として珍しがられたが、その割には客はなかったという。これに
刺戟されてか三五年頃、松ノ木、毛馬内、花輪に客馬車を始める人が出、「鹿角馬車」と呼ばれて大館まで往復
している。
三八年にいたり、盛岡までの乗合馬車が実現した。花輪佐々木彦兵衛、小川権太郎外一名の共同経営による