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一三年、大湯中町に新築された大湯小学校校舎の屋根は、杉皮葺で屋根にたくさんの石をのせ、屋根をおさミ

こいたという。二七年、県有財産一覧表によると、花輪警察署、毛馬内分署とも木造洋風だったとあるが、ど4

な建物かその様子はわからない。三三年新築の花輪区裁判所毛馬内出張所は柾葺であった。これから考えると

明治期の公共建造物は、ほとんどが柾葺とみてもよいのではないだろうか。

六日町大火の後、新築された家のうちには、「評判の西洋造り……台所など模範的構造」というので、見学者

が結構あったという(

『花輪町だよ

り』第二集

)が、西洋造りの具体的内容については明らかでない。

二〇年小坂鉱山銚子第一発電所、三一年永田発電所、四四年碇発電所などと鉱山関係の施設が設置されていっ

たが、特に碇発電所の煉瓦造りの西洋建物は世人の関心をひきつけたことであった

三六年九月鹿角郡町村事務会は「火鉢に換ふるに暖炉を以てする凡ての点に便利なるは明らか」と、暖炉使田

を指示したが、暖房用として火鉢・木炭に替わりストーブになったのは、花輪小学校では四三年からであった。

大湯村の大湯、草木、不老倉の各小学校でも、四四年にはストーブを設置していた。

ガラス

〓査提灯がガラス提灯に改められたのは九年であるから、一一年鹿角に来任した巡査もこのガ

ラス提灯をもって巡回していたことだろう。

一三年新築の大湯小学校校舎の窓は数は多くないがガラス窓であったという(

『大湯小学校百

周年記念誌』

)。二五年当時長

井田小学校校舎の窓ガラスと障子が交っていた(

『八幡平小学校統合

一〇周年記念誌』

)。二七年新築以前の毛馬内小学校校舎は窓

の開閉もできず、格子作りに反古紙をはり催かに上部数寸を残して換気をとる有様で、大吹雪の際は雪が教室内

を吹巻くこともあったという(

『毛馬内小学校

百周年記念誌』』

)。