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貴重なものだったといえよう。なお柴内村会日誌には、一七年度役場備品として掛ケ時計がある。
これから考えると、二〇年代には役場、学校に備付けられ、一般家庭に普及するのはなおその後のことであっ
たと思われる。
首、鉛筆のない時代は硯、墨と筆、石盤に石ペンと本が道具といわれ、登校の際は風呂敷に句
んで、草履をはいて行った(
『花輪小学校
九〇周年誌』
)。学用品も、明治末には「学用品一切」「文房具
式」など広告もみえてくるようになる。
旧藩主南部利剛が大湯に来た際児童への記念品は半紙四帖であった。一五年日理郡長が花輪小
字校視察の際、優等生への賞与は半紙二帖であった。一年生から毛筆で作文を書いたり、おし
きに砂を入れて文字の練習をしていた頃だから、半紙はとても貴重品であった。
洋紙については、二二年毛馬内村外二ケ村戸長役場諸費にみえるのが、記録の上では最初である。また学校関
係では、毛馬内小学校で二三年毛引洋紙三〇枚、ワラ半紙八五枚を使用していたのが最初である。
花輪小学校で作文、算術練習に鉛筆と雑記帳を使用させたのは三四年、しかも高等科に初めて使用させた。尾
去沢小学校では「ノートは西洋紙をとじて使った」といわれるが、中身にはワラ半紙を用いてそれに表紙をつけ
た粗末なものだったと思われる。ただ年代ははっきりしていない。
このことから、洋紙類が役場の事務用に用いられ始めたのは二〇年代初期、学校のノート類は三〇年代中頃か
ら使われたものと思われる。