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鉛筆と同様、大湯村では公費で教職員にインクを支給していた。四五年当時粉インキ(黒)は年間二~四箇

赤インキ(粉)は年間一箇であった。

絵具

(

万年筆

七年花輪小学校は文部省から「二等奨励品……絵具弐組」を賞与されているが、ここでいう

絵具は粉末の岩絵具か、乾性の棒絵具であったと思われる。

毛馬内小学校で画用紙の使用は二七年であったが、絵具はずっと遅れ三八年であった。チューブ入りの絵具の

輸入は四〇年前後というから、ここでいう絵具とは日本画用絵具の改良品を皿入りにしたものであったのだろう

『文具の

歴史』

)。

なお明治期において絵具の範囲はきわめて広かった。大湯村では四五年、絵具の頭の中に「謄写インキ、紅ガ

ラ、水彩絵具、洋シン」を挙げている。このうち水彩絵具は一円であった。

万年筆の初めは、花輪到来年表に四〇年村木国松とあるが、別書に三九年万年筆をみるとの記

事もある(

『花輪小学校百

周年記念誌』

)ので、この頃はいったものに間違いない。

鹿角に最初にはいった万年筆は国産か、舶来かはっきりしないが、大正四年の毛馬内町商店街の写真には「サ

ンエス万年筆」との幟がみえる。

毛馬内町では二二年に写字機械を、二三年には半紙判複写器一組を購入しているほか、会議費

から複写費を支出しているから、町会議案の作成などに使用されたものと思われる。

二四年追加予算、二八、二九年度予算書は和罫紙に複写されており、この頃には複写は一般に利用されていた

複写

と考えられる。また二八年には複写インキを購入しているが、複写紙用の松脂と松煙を種油で混合したインキか