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コンニャク版用のアニリン染料かは不明である。

二九年町村事務会の資料はコンニャク版による印刷であるが、謄写版、謄写器による印刷は毛馬内町では三三

年から、大湯村では翌三四年からで、いずれも複写と同様に和紙に謄写されている。

オルガン

秋田市では二二、三年頃になってようやくにオルガンを備える有様であった(

『秋田

市史』

)が、こ

れと相前後して二二年六月、町有志から花輪小学校へ風琴一台

七(

)が寄贈された。同校訓

導河和田カツが、紫の袴姿で初めてオルガンを弾いたという。

いのとき、「今度独りで歌をうたう小器械が来るそうだ」と大変なさわぎであった

『花輪小学校

同窓会誌。

)という。

毛馬内町では、二二年高等小学校に「オルガン一台五〇円」の予算措置を行って購入し、二三年に赴任した川

井ヒサが初めて唱歌の授業を行っている。大湯小学校では三五年に小オルガン一台(一九円)を購入している。

このほか、毛馬内町では二二年喇叭を購入しているが、何本だったかは明らかでない。

ヴァイオリンは四〇年頃高谷勝三郎

大館高等小学校訓導、

第二花輪小学校長

)が夏、冬休みによく弾いていたといわれ、大正二年

毛馬内小に赴任した成田為三は唱歌の時間以外にもヴァイオリンを教室に持込み歌わせていた(

大里健治『小

さな音楽史』

)ハー

モニカが入ってきたのも四〇年頃といわれ、四一年花輪小同窓会の席上、田村造酒三がハーモニカ演奏をしてい

『花輪小学校

同窓会誌

る(

(

)。

合唱は四三年毛馬内小高等科女生徒が三部合唱「浦のあけくれ」を唱ったのが最初といわれ、輪唱は成田為三

が「舟子」等の輪唱曲を教えたのがその初めという(

『小さな

音楽史』

)。

部落寄付によって楽器を購入し、音楽会を開催しているところもあった。三七年田郡同窓会では部落寄付によっ