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く音楽隊用楽器一組を購入、音楽会という「高尚なる娯楽」を楽しんでいた(
『鹿友会誌』
第一三冊
)。
)
新聞雑誌
乙年秋田県から「新聞購読方」の諭達があった。これは新政府の政令、布告や県勢の公告を伝
産普及するとともに、県民の開化啓蒙をはかろうとの考えによるものであった。県からの大館
支庁に配布したのは郵便報知新聞、日新真事誌であったから、鹿角人の最初に読んだ新聞は、役所へ回送される
この二紙だったと思われる。
新聞
庇角における新聞購読は五、六年頃尾去沢鉱山鉱業主岡田平蔵の目代として来山していた槻本
キ八郎が自ら購読し、これを属僚の人々にも回覧したことに始まるようだ。これから後、郡内
にも次第に購読する人が増えるようになった。
当時の新聞購読が尾去沢に多かったことは、『見聞雑誌』の記事にも、一七年「絵入自由新聞」二一年「朝野
新聞」二一年「朝日新聞」二八年「中央新聞」二九年「台湾新報」三一年「都新聞」等の紙名がみえ、阿部恭助
自身東京まで注文して購読していたほか、友人から何日分かまとめて借覧していたようすがわかる。
二三年毛馬内町役場では「秋田日々新聞」を購読していたが、年間購読料は五円三四銭であった。
鹿角で新聞の各戸配達を行ったのは、三八年大館小山吉郎が小坂町尾樽部に設けた小山新聞売捌所支部が初期
に属するものと思われる。東京諸新聞、秋田魁新報、時事公論など割引して販売したので、購読者はそれまでよ
り二百名以上も増加し、毎日腰に鈴をつけて配達したという(
「秋田魁新報三八
年八月二三日』
八)
)。
同三八年九月一日、花輪長年寺角の奈良書店も大館の某と協力して、新聞取次を始めている、郵税なしで配達
すること、郵便より早いこと等がうけて、購読がふえ東京諸新聞だけで七〇余部に達したという。以前は東京の