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神位(
この神仏分離令が出された頃の鹿角の状況は、次の通りであった。①の八幡大菩薩の称号は、八幡宮とか八幡
社と称しており、菩薩と称する例はあまり見られない。ただし唱え言葉としては、八幡大菩薩・弓矢八幡大菩薩
のように用いられている。②の権現は、白山権現・新山権現・五ノ宮権現・滝権現・獅子権現などがあった。午
頭天王も多かったが、午頭天王を祀る全国の本社である京都の祇園社の例にならって、八坂神社と改称した所も
少なくない。③については、鹿角のほとんどの堂社が神仏習合の状態にあった。花輪地区を除くと、修験者の支
配する堂社がほとんどであったので、鰐口や仏具などが当然のように置かれていたことは、想像にかたくない。
ただしこれらの堂社においても、文化文政以降は、京都の白川家や吉田家と言った神道の家(
全国の神職
を取締る
)から、
神璽=ご神体
とするもの
)などをもらって来ることが多く見られるようになっていた。
仏像のご神体をどのようにしたのか。口碑によれば林
の中へ隠したり、寺院に移したり、或いは火にくべたり
したなどと伝えられる。寺院へ移した例としては、月〓
神社の本地仏である虚空蔵菩薩像が浄土真宗の常照寺の
境内の一偶に安置され、小豆沢大日堂の末社薬師社の薬
師如来像が曹洞宗の吉祥院へ移された、などである。
仏像に替わるご神体としては、神鏡や御幣が用いられ
るようになった。その一例を上に掲げるが、これによっ
第〓表明治三年八幡平地区における神仏分離状況の例
(明治三年『奉仕社頭之儀明細書上』金沢家文書
)内筆者注
ても当時の混乱した様子が窺われる。