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第〓表明治二・三年修験者の復飾状況

のように、三年には鹿角から修験(山伏)が

消滅してしまったかのようである。だが実際

には、混乱の時期であったので、自分自身は

神職に転じながら、修験の名跡を残すことも

行われていた。その一つの例が、『御觸帳

阿部

家文書

)に見られる、三ケ田村の源清院に

ついてのものである。

金万斉

明治二年『花輪通毛馬内通神職修験寺院名面田村

文書・明治三年『奉仕社頭之儀明細書上』金沢家文

長嶺村百姓左平治三男冨太郎当七歳

右の者、其御村社人金沢孫弥名跡相継ぎ申し

度き旨願出候に付、身元相正し分明に付、当

村戸籍より相除キ申し候。送状件の如し。

明治三年庚午六月

長嶺村庄屋阿部甚五平

三ケ田村阿部喜之助殿

此書付は、明治四年辛未二月廿八日に花輪町