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国家の宗祀と

世襲の禁止

明治初年において、神道を国教的地位におこうとする動きが政府内にもあり、他の宗教に

比べて神道優位の政策がとられた。ただそれは必ずしも神社・神職を優遇するものではな

かった。ことに神職においては、一部を除き、経済的に不安定な状態に追いこまれた。

四年五月一四日の太政官布告は、神社は国家の宗祀であるから、一人一家の私有にすべきでない、宜しく祭釣

一致の政体に副い、伊勢両宮以下大小神社の神官・社家に至るまですべて世襲を廃し、精選補任致す可きである

としている。また従来の神官は、その身分に応じて士卒農の内へ編籍されることも定めている。さらに秋田県に

おいては、五年八月に次のような神職の世襲を廃止する布達が出されている一

『秋田県史』資

料・明治篇下

)。

御改正に付、世襲の神官・社家に至る迄、悉く皆廃止され候条、此旨相心得速に農商の中に帰籍致す可き事。但追て

祠掌置かれ候迄、神事祭典等旧神官にて勤務致す可き事。

壬申八月

石の通、神官・社家・戸長へ相達し候条、其心得之れ有り、戸籍編制の儀は旧神官・社家と肩書致す可き事。

これにより、旧来からの社家は廃止されることが確定したことになるが、但し書きにあるように、しばらくそ

の地位にとどまる者もあった。

鹿角における旧来の社家は、この時点で花輪の三日市・幡坂・沢井・宮館・黒沢(神明社)・黒沢(春日社)・

佐々木・関の各家があり、他に大日社人の一ノ庭・籠屋・大博士などがあった。これらの多くは、直ちに神職を

やめることはなかった。帰農するにも、上知しているために農地を持たない者がほとんどであった。その多くは

二〇年頃までに、神職から他の職に転じている。

一方修験(山伏)から神職に復飾した者は、この世襲廃止には該当しなかった。それに元来農業を営んできた