テキストを表示

者が多かったので、そのまま神職にとどまる者が大半であった。

大教宣布運動

政府は神祇官復興と共に二年九月、宣教使の職制を定めた。ついで三年正月三日、神祇鎮

祭の詔と共に大教宣布の詔が発せられた。これは祭政一致の精神をもって治教を明らか

にし、惟神の大道を宣揚すべきである、よって宣教使を任命し、天下に布教させようとするものであった。しか

しこの宣教使制度は、現実にはほとんど活動をしないで終わった。

神祇官も四年八月には神祇省となり、五年三月にはさらに教部省が設けられた。

教部省となって方針があらたまり、四月の太政官布告により教導職が設けられた。それと同時に、三条の教需

ともよばれる「教則三条」が布告された。

第一条敬神愛国ノ旨ヲ体スヘキ事。

第二条天理人道ヲ明ニスヘキ事。

第三条皇上ヲ奉戴シ朝旨ヲ遵守セシムヘキ事。

六月にはこの三条の趣旨を伝道させるため、各社寺を説教所として老若男女は余暇をもって関係の社寺へ参り、

聴聞させるようにと令達されている。

教導職は大教正以下権訓導まで一四級に分かれ、教部省の所管するところとなった。教導職には神官全員及び

僧侶も加わりさらに翌年には一般の有志の者も加えられた。五年一一月には、神官僧侶の説教についての心得七

ケ条が達せられている。またこの教則三条についての解説書が、各方面から多数出されている。内容は宗教・倫

理に関するもの、国体・政体・法制など政治的啓蒙に関する事項についてであった。説教をする場所として、中