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このように四〇年から四五年の間に多くの神社合併がなされ、なかにはごく少数だが大正・昭和にもち込まれ
た神社もあった。
全国的にみても秋田県は、神社合併を強力におし進めたと言われ、合併率は非常に高く、後世その弊害を指摘
されるところである。ただ鹿角の場合、ほとんどが名目的合併におわった。したがって合併届がなされたのちも
実際には社殿がそのまま残り、祭典も以前と変りなく行われる所が多かった。ただし境内地等は財産処分の結果
合併先の神社有地となるか、私有地となっているものがほとんどである。
三、寺院の変遷
廃寺となった寺院
寺院一
明治政府の宗教政策の結果、廃寺となった寺院は少なくなかった。その政策の主なもの
は、神仏分離、それによる廃仏毀釈、上地令、無檀家寺の廃止、寺院の合併促進などで、
これらの政策によって廃寺となったものに、鹿角では密教寺院と無住の寺・庵寺がある。
近世における鹿角の寺院については『鹿角市史』第二巻下の中でふれているが、その中で神仏習合に無関係の
庵寺を
内一寺
)は曹洞宗
現安代町一・小
坂町二を含む
)一八、浄土宗三、浄土真宗三
)、日蓮宗一、真言宗一であった。
除く
移動
住職の住宅も
また神仏習合の寺院は天台宗二
、真言宗一であった。このうち廃寺となったのは、天台宗二(四)、
含めると四
真言宗二である。ただ、いずれもその年代が明確でなく、おおよそのことを推察するにとどまる。
天台宗の寺院は、神仏習合の状態にあったことから廃寺とともに神社に変わり、建物を取りこわすことはなかっ