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江刺家は翌一一年八月再び出張し、荒川村に多くの受洗者を出している(
『鹿角郡荒川村福音会出張
伝教者記
)。正教会一一
年公会記録
写。辻永
昇氏提供
〓)によると、この公会に出席した江刺家は当時の状況を次のように報告している。すなわ
ち、昨年八月会命をもって秋田県花輪町に出張したところ、区戸長から寄留も講義も県の指図を待つようにと差
友
番られ、空しく三カ月を過ごした。幸いアレキセイ山中(
の招きで十二所に移り毎夜講義したが、石を投げ
伯
られたり、神官たちに邪魔されたりした。その後毛馬内町の大森龍太の招きで同地に転じ、龍太・喜六(〓)
川
相
)の
尽力で市中に講義所を開いた。また荒川・不老倉へも啓蒙のためでかけるようになった。
『陸中国荒川村福音会領洗記』
冒頭の記事から江刺家の活動の跡をたどると、一一年一月六日まず
毛馬
イオアン大森龍太
毛馬
内
)に啓蒙を授け、さらに同日湯瀬哲太郎宅においてペートル相川喜六
)、イヤコ
内
内
荒
荒
フ沢出速水
〓)を啓蒙している。次いで荒川村目時家において、一月八日シモン目時藤次郎
)・ハワエル
川
川
沢出律太郎
速水
長男
)・アントレイ目時金吾
藤次郎
長男
)らを啓蒙し、その後同年の一月から翌一二年二月まで江刺家
の伝道による信徒三二名を出している。この人々はやがて一一年九月一九日司祭マトフイ影田から洗礼を受け、
ほかパワエル小林与助一
不老倉
鉱山
)ら五名は一二年一月司祭イオアン川股の授洗、同年四月には五名がロシア司祭
アナトリィから受洗している。
右の記録から推しても、江刺家の一一年公会報告にあるように一〇年八月から花輪に入り、十二所を経て毛馬
内に転じたのは同年師走の頃とみられ、それから湯瀬宅における啓蒙へとつながっていく。かつ大森龍太らの招
きを請ける前提には、同年一月最初の出張成果が深い縁となっていたのであろう。
江刺家に最初の説教場を提供した毛馬内高田の湯瀬哲太郎は、一四年県会議員となりのち秋田改進党員として