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機、尋香、蓬宇、素水、採花女らがおり全国的な巾の広い内容をもっている。

鹿角からの出句者は布白、盈哉、錦里、一眺、千隣、文哉、常水、其盛、香峯、如山、古愚、それに橋本南畝

である。そのほとんどは『秋田風雅集』と同じ人たちで、南畝についても詳しくは伝わっていない。

さざ波やうねうね涼し夏の月南畝

南畝

『ひとしづく』は、二六年一徳庵於曽此一

の追善句集である。鹿角関係では次の人々をみることができ

る。桃川、楽水、松園、りよ女(

以上

花〓

)、盈哉、素朴、蕗谷、谷水

以上毛

馬内

)である。

今朝海は低う見えけり初かすみ桃川また出でて見上ぐる月の桜かな盈哉

けし咲くやこころに叶ふ茶の手前楽水長閑さや遠沖白き波がしら素朴

久月や雪かとばかり波の花松園夜書も知らぬ姿の生海単かな蕗谷

駕の戸をあけて吹かれつ春の風里よ女人の日や妻にもとらす小盃谷水

このほか、比内町扇田徳栄寺の二七年麓菁莪追善句額に、花輪の一眺、古愚、泉所の句がある。菁莪は通称長

治、県会議員、その三年忌に子の米南が追善句会を催し掲額した。

たび人に鋏わたして燕子花一眺かくまでに人の思ひを虎が雨円

江にそうて流るる声やほととぎす古畏

明治二、三〇年代における鹿角の俳壇は、これら『面影集』『秋田風雅集』などにあらわれた人たちを中心に

泉所

形成されていたものとみられる。