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春の夜の短き夢を時鳥只ひと声にさましけるかな瀬川重範

『江湖詩華』

真菰草風にかたよる川水にうつるもすずし夏の夜の月斎藤麟道

淋しさをいとひて秋も暮れ行けば又何となくうとまるゝ哉諏訪波フ

諏訪波子

山口綱正、瀬川重範、諏訪波子はともに大湯、立山香峰

一)、斎藤麟道は花輪である。

四四

後期に入っても、なお和歌が主流をしめていたことは、『鹿友会誌』第拾参冊

作風からよみとることができる。

ぬば玉の暗ならなくば出でゝ見ん夜風のおくる窓の梅か香梅風吉田五郎

ほの〴〵と明け行く風にさそはれてさかぬ宿さへ梅が香ぞする同斉藤麟消

庭まへにさける桜の花ざかり惜しくも月はおぼろなりけり夜花佐藤健〓

春霞たなびきわたる大空のいづこなるらん雲雀なくなり同川村善太郎

花ちれば春にわかれし心地して夜な〳渡る夢のかけはし散後思花川村左学

おもかげを枝に残して庭桜花のかをりの心地こそすれ同小山善五郎

)所載の「花輪歌壇」の

短歌

これまでの和歌調から脱却し、新傾向の短歌とおもえる作品が『鹿友会誌』にみえはじめ

四三

るのは、同誌第拾弐冊(

)に寄せたごろう一

)の「故郷」と題する一〇首からである。

故郷の半鐘台の其下に凭りて在る児の吾に似たるかな

飴売りのラッパの音のたゞよへる夕陽の街に吾も遊べり

大正

さらにはっきりと短歌とよぶにふさわしい「歌一束」三八首を、同誌第拾六冊(

)に掲げているのはテムヤ

二年

ある。テムヤについては実名を欠き、今のところその経歴ともに明らかでないが、上記寄稿のほとんどは北海