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道における作品であり、そのなかに「花輪に帰省して」の詞書を付した数首もあるところから、当時北海道滞在
の花輪出身鹿友会員と推察できる。その数例をあげると
ほろ〳〵と広き街道にアカシヤのちりそめぬれば秋の風吹く
世の人の最大のかなしみ集ひ来よつどひきたれとまなこをつぶる
大太鼓音を圍みて村人の踊り明さむ祭早や来よ
-花輪に帰省して
旭
四五年七月に発刊された花輪花田栄太郎(
)編『かづの』では、和歌の部に立山香峰、吉田月耕、花田旭峰
峰
尾去
同
らが名をつらね、短歌の部に高杉露星一
去)、花野露村
〓)の両人が作品をかかげている。和歌と短歌を画
沢
上
然と区別しているのは、郡内ではこの『かづの』が最初のものと思われる。
彼の紅き灯慕ひて夜毎行くかなし蕩児のうしろ姿よ錦木塚露星吟客
折にふれ涙も流し打ちもせし思ひ出多き此の古机此の古机高杉露星
革命の群れにまじりて一と旗をあげて来よとの友のざれかな同同
鉱毒に寂びれはてたる故郷の小川の石の赤き印象鉱山の印象花野露村
文明は此の山国を襲ひ来ぬ野にも山にも電気ともれる同同
高杉露星は尾去沢高杉重右衛門、花野露村については明らかでないが、露星と同郷かもしくは小坂村であろう。
いずれにしても、新しい短歌の潮流が本格的におし押せるのは、大正期以降をまたねばならなかった。
〓詩