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て作詩したものである。

承宣遙使欧羅昨夜己逾弗利加掣剣舷頭鮫鰐叱滄溟開波日章華

鹿友会誌」

雲靉烟鎮關河遠歳暮自吟萬里涯皓月高懸覇慮動雁聲長絶故山家青山芳徳(

青山芳徳(

閉壱冊より

明治四年

川村亜州(

〓)(

)は、二〇年に上京、第一高等中学校を経て東京法科大学法律学科を卒え、内務省

昭和三十年

県治局出仕をふりだしに官界へ入った。のち和歌山、香川、青森の各県知事、内務省警保局長、内務次官、満鉄

総裁、台湾総督、犬養毅内閣の司法大臣等を歴任した。

一高在学中から鹿友会の幹事として活躍し、その後も同会の発展に援助を惜しまなかった。つぎの詩は、春畦

と題し一高時代の作である。

川口恒蔵(

明治二七年

没、三〇歳

川村竹治(

「鹿友会誌』

第壱冊より

は、新斎と号し、尾去沢川口理忠太の長子。二〇年に東京遊学、初め哲学館に入ったが

のち国学院に移り二六年卒業した。在学中から『日本人』『亜細亜』『大同新報』などに投稿すること多く、内

藤湖南の「亡友紀傅」川口恒蔵君傅(

『鹿友会誌』

第五冊

)に「精敏強紀、善く詩文を属す」とある。左の詩の畑山芳三は

呂泣と号し、湖南とも朋友であった。

送畑山芳三赴肥南新斎山長恒

黨議如麻徒紛揉誰團八洲為一毬活国有計計既熟飄然挺身入九州

剛気従来天所施縱君大為所欲為弾丸秋水不入眠可将折筆答健児

『鹿友会誌』

第壱冊より

)