テキストを表示
このうち〓の「知恵の瀧」は岩手県安代町に属する。
原図はいずれも代赭と青を基調とした淡彩であって、これは蓑虫山人の絵を特徴づけているものである。
なお、「陸中国鹿角郡大湯温泉場ノ図」に「十月十九日廿日ノ両日当所滞留入湯」の日付が入り、また「湯瀬
温泉滞留入湯」には「十月二十一日、二十二日」とあるところから、一〇月二三日に湯瀬から岩手県へむかった
ものと思われる。
寺崎広業
守崎広業は、秋田市の人、山水画の清新な画風で画壇の雄となり、東京美術学校教授とし
て著名であった。
広業が花輪を訪れたのは、鹿角郡長となった親戚戸村義得を頼ってのことであった。したがってその時期は
戸村の郡長着任の一九年九月から数カ月後のこととおもわれる。やがて平福穂庵を頼って上京を実現するのは、
二一年一月になってからであった。この時郡役所の同僚田中虎二郎を伴って上京したが、虎二郎は無断出奔であっ
たため父北嶺に連れ戻されるという逸話を生んでいる。
仏業の花輪滞在中における作品と目されているのは、阿仁鉱山を描いた「鉱山作業図」のほか、市内に蔵され
ている次の五点である。
1「牡丹図」(81cm×30cm明治丁亥春日専正精舎席上作、廣業〓)印は「秀斉」専正寺〓
専正寺蔵
2「游鯉図」(82cm×52cm明治丁亥春日、秀斉廣業写〓)、印は「秀斉」長年
長年寺蔵
3「桜花図」(201.3cm×23.2cm)長年寺芸
長年寺蔵
4「達磨図」(68cm×13cm)
岩館昇園氏蔵
5「恵比寿、大黒図」(33cm×91cm双幅、明治戊子一月、廣業□㊞)印は「秀斉」吉田育次郎氏芸