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このうち「達磨図」は、花輪時代の代表作とみなされる。気宇の壮大と筆勢の逞しさは、後年明治の画壇に雄
飛した片麟をうかがうに足るものである。
石川啄木
〓川啄木は、三五年五月に盛岡から上京、与謝野鉄幹の『明星』に短歌を発表し、にわか
に歌壇の注目を浴びることになった。
三七、八年は、啄木がおびただしい数の新体詩を作った時期である。啄木最初の詩集『あこがれ』は、三八年
上田敏の序詩、鉄幹の跋を得て発刊された。この『あこがれ』のなかに、前年の三七年『明星』二月号に発表し
た長詩「錦木塚」が収載されていた。「錦木塚」が鹿角に伝わる悲恋の伝説に想を得たことは、「明星」発表の
ときの次の後書でも明らかである。
秋田県鹿角郡、花輪より小坂に至る途上、毛馬内の南十町許にして路傍に錦木塚あり。悲愁銷魂の伝説今に伝はりて、
心ある旅人の幾世かこゝに涙を濺ぎけん。我十六歳の年友とこの古跡を探りて、故老の情けに古記を抄録し帰りける者、
今猶蔵して篋底にあり。この吟をなしえたる、それ或は多少の縁あるか。略
錦木塚」は、にしき木の巻、のろひ矢の巻(長の子の歌)、浚の音の巻(政子の歌)の三章、二九聯の長編
詩である。『あこがれ』に収められた同詩の後書に「この詩もと前後六章、二人の死後政子の父の述懐と、葬り
の日の歌と、天上のめぐり合ひの歌とを添ふべかりしが」、筆を措いてから一年を経、興趣捉え難くなったので、
遺憾ながら三章のみをかかげる、とその未完であることをことわっている。
にしき木の巻淡日影旅の額にさしくる丘、
槇原に夕草床布きまろびて
千秋古る吐息なしてい湧く風に