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いたことから、議会の解散による党勢拡大を策した。

三年一二月議会が解散され、いっせいに総選挙準備にはいった。翌四年二月、公認候補をきめる立憲同志会秋

毛馬

田支部総会がもたれ、鹿角から馬渕匡次郎

)、工藤茂太郎(

)、小笠原勇太郎

)が出席している。そ

の後両党の選挙運動が激しくたたかわれ、政府の露骨な選挙干渉のもとに、立憲同志会が優勢に立った。鹿角に

おいても三月三日同志会公認候補者町田忠治、同斉藤宇一郎が遊説のため来郡した。秋田魁新報によれば、午後

六時半花輪着直ちに同町袋丁の大正座において政談大演説会が開かれ、定刻前から会場は立錐の余地なく、大里

恒三(

)、工藤茂太郎

)両氏の挨拶ののち、候補者は万雷の拍手に迎えられた。翌四日、政友会の本拠地

である毛馬内に入り、奈良庄太郎方に小憩ののち演説会に臨み、主催の馬渕匡次郎が開会の辞を述べた。終了後

直ちに大湯へ向ったが、大湯の演説会も諏訪富多

)の挨拶に始まりきわめて盛会であった。当時の秋田魁新

報は反政友会の旗をかかげ、立憲国民党から脱党した立憲同志会の機関紙的内容を濃くしていた。例えば三月一

八日政友会大久保鉄作らの政見発表演説会が花輪大正座に開かれたことなどはとりあげず、もっぱら同志会の優

勢だけを伝えている。それにしても野党政友会や国民党の退潮ぶりが目立っていた。

この衆議院議員選挙では、政府与党が絶対有利の原則通り、本県七名の定員のうち同志会五名、政友会一名、

国民党一名という結果におわった。与党の大勝により、議会構成は同志会一五三、政友会一〇八、中正会三三、

国民党二七などとなり、大隈内閣は易々と軍備拡張をなしとげることができるようになった。

この与党有利という原則は、同年九月に行われた県会議員選挙によっても立証された。その前月に発表された

直接国税三円以上を納める県会議員選挙有権者は、鹿角郡で二、〇六一人、郡の議員定数は二名であった。非政