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友派からの立候補は小笠原勇太郎、諏訪富多、児玉政七
〓)、阿部重吉一
宮
)の四氏、政友会からは豊口竹五
柴
平
川
毛馬
郎、内田平三郎二氏のほか、山本修太郎
)が推薦された。山本は煙害同盟会候補として青年会からの出馬
内
内
であった。
その戦況について、秋田魁新報はしきりに非政友派の有利を報じ、その直前の九月二五日付に、次のように述
べている。鹿角郡は七名の候補者が互いに入り乱れ、まず小笠原氏は依然として優勢、山本氏は運動員の場馴れ
せぬ結果却って豊口氏に蚕食されるの傾向にある。これに対し諏訪文学士は遺憾なき運動を試み、阿部氏は地の
利を得て当るべからざる勢いである。児玉氏はこの間にあって八方に切り捲くる姿を示しているから、阿部、〓
訪、児玉三氏のうち誰が選に入るのか予想できない。政友会現職は非常な不振で、近頃の選挙人の知識は年一年
進歩しているから容易にその作戦に乗らぬようである、と観測した。しかしその結果はかならずしも予想通りに
中
中
いかず、三一三点山本修太郎
〓)、二九五点阿部重吉
立
)と中立を標榜した二氏が当選し、二八九点児玉政
同
同
七(
)、二六三点小笠原勇太郎
志
)ほかは次点におわった。初議席を得た三三歳の山本は、その後、政友〓
志
派に属して八年、一二年、昭和二年、六年、一〇年、一四年と連続当選し、県参事会員等を経て大正一二年一〇
月県会議長に就任するなど、ながく県政界の重鎮として活躍することとなった。
政治意識高まる
県会議員選挙のあとを振り返って秋田魁新報は、この度の県議選挙は各郡とも候補者の不
疋に苦しみ殆ど無競争当選が多かったにも拘らず、鹿角郡は実に二名に対して七名の候補
者をかぞえた、これは政治思想の発達と見なして喜ぶべき現象ではないか、との寄稿をのせている
この時山本修太郎の当選の蔭には、毛馬内青年の押づよいまでの運動があったからといわれている。また五年