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大正四年に郡長として二度めの鹿角入りした河野隆性は、まずこの問題にとりくみ、前任地由利郡の成功にな

らって各町村いっせいに納税組合を組織することを命じた。この方法は、町村内最寄りの二、三〇戸位ずつ一組

合となり、各戸の諸税負担金を各月等分に分割し、毎月一回ないし三回に貯金して組長がこれを預り、租税の納

期ごとに組長は預金のなかから役場に納付するしくみである。花輪町は四年八月に全町を四五組合に分け、九月

より貯金を実行したため、国県税はもちろん町税すら九割九分の納入成績を示すようになった。他の町村も次第

に組織を整え、五年には国税は九つの町村が完納し、県税は平均八割を越え、町村税は六割以上に達した。これ

第十

まで最下位の本郡が、一躍上位の成績に上ることとなった。鹿友会誌

「東西南北」欄は、その中でも曙

九冊

を第一等とし毛馬内等これに次ぐそうである、と記している。

八年二月紀元節に当り、柴平・七瀧両村は三年間、毛馬内町は二年間、地方税の納期内完納を継続達成したと

して、県知事よりそれぞれ表彰状に賞金三〇円を付し授与されている。

注1、秋田魁新報大正二年一月二一日付

注2、同同二年一月二七日付

注3、同同二年八月一八日付

注4、同同二年一二月二〇日付

注5、『近代日本総合年表』(岩波書店刊)

注6、鹿友会誌第十七冊、「かめやより」中島完伯

注7、秋田魁新報大正四年二月二三日付

注8、同同四年三月一三日付