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注9、小田島由義『伏雲叢書』、大正四年三月一八日記事

注〓、秋田魁新報大正四年九月二五日付

注〓、同同四年一〇月二日付

注〓、大正六年「秋田県鹿角郡要覧」鹿角郡役所

注〓、秋田魁新報大正五年四月二四日付

注〓、鹿友会誌第二十冊、「郡の一隅より」

注〓、同第十八冊、「鹿角郡の財政」

注〓、同第二十一冊、「郷里近況」

二、社会の不安

不況と冷害

入正二年は凶作であった。この年は春から低温で、苗代がおくれ、田植もおくれた。土用中も

東風の吹く日が多かった。同年の秋、県種苗交換会(

第一

六回

が初めて鹿角を主催郡とした花輪

第二小学校で開かれたが、その談話会において鹿角郡稲作は平均六割減であると報告されている。しかし実際の

被害はもっと深刻で、大正二年『秋田県鹿角郡勢一班』

鹿角郡

役所

の示す米収穫高によると、明治四四年五万二、

四八五石、大正元年四万八、二〇九石に対し、大正二年はわずか一万三、一六二石、前年比二七パーセントにと

どまる惨状であった。

この凶作救済のため県のとった方法は、緊縮財政のもと、政府低利資金を借りうけ町村その他に貸付けること、