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郡役所では鉱煙毒調査のため郡予算に三〇〇円余を計上した
これら煙害賠償金の要求に対し、鉱山は未調査を口実に応じようとしなかったが、一〇月になってようやく村
民立合の調査を行なった。その結果鉱山は、多少の枯損はあるが賠償の必要程度に達しない、かつ必ずしも煙害
のためとは認めがたいと主張し、双方物分れとなった。一一月末、突然曙村民約六〇名が鉱山へ押しよせ、損害
支払を談じこんだが、平和に解決するのであらば代表者を残して引取るようにとの説得に応じ、穏便のうちに引
きあげた。
一方、明治の終りごろからすでに問題となっていた花輪町字高屋および錦木村神田の、耕作田地五〇余町歩の
鉱毒水流入の損害については、被害民は三割の被害を主張し、鉱山はそれを認めず紛糾した。鉱山側は、恒久的
対策として花輪町より狐平用水堰を借用し高屋へ潅注する案をたて、同町との交渉を重ねていた。はじめ強硬に
反対した町側も、三年四月町会の議決により用水堰の貸与を決定した。貸与期間一〇カ年間、修理等はすべて鉱
山の負担とする条件であった。
また、五年二月には花軒田・曲沢両部落総代人より尾去沢鉱山に対して煙害費要求の嘆願書がでるなど、同鉱
山の公害補償問題は次第に広がりはじめてきた。このように郡北部では従来からの小坂鉱山煙害問題がますます
激しさを増すと同時に、呼応するかのように尾去沢鉱山の公害問題も郡南部一帯の、大きな社会問題となりつつ
あった。
注1、『秋田県種苗交換会史』大正編、九六ページ
注2、小田島由義『伏雲叢書』、日記摘要大正三年