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た経営があれば忽ち騒ぎをひき起すことを忘れてはならない。
小坂の第一回争議解決のあと、争議中に生まれた労働会を解散し、最初の労働組合である小坂鉱山協同交誠会
が結成された。交誠会の成立によって一時平穏な労使関係が回復するかにみえたが、その後の戦後恐慌はますま
す深刻さを増す一方で、鉱山側では事業縮小、賃金切下げ・人員整理の断行にふみ切らざるを得なくなってきた。
新聞記事によれば、小坂鉱山は九年七月坑夫五〇〇名を解雇し、翌八月には上級役員二六名並に医員、使役人、
飯場頭を合せ一、二〇〇余名を解雇したといわれる。また同年一二月の新聞記事では、不景気時代に入って鉱山
の受けた打撃は諸工場のそれよりも強く、一一月になって小坂鉱山三七八名、尾去沢鉱山五一名を解雇したとし
ている。
注1田口勝一郎編『明治大正昭和の郷土史・秋田県
注2田口勝一郎『秋田県の百年』
注3秋田魁新報大正七年八月一六日付
注4『創業百年史』同和鉱業株式会社
注5秋田魁新報大正九年七月一〇日付
注6同同九年八月二八日付
注7同同九年一二月一三日付