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豊口竹五郎(
中
)、石木田新太郎(
攻
三氏が立候補し、その結果与党政友会の山本、石木田二氏の当選におわっ
立
友
た。石木田は新たな県会構成のなかで、参事会補充員に当選している。
二大政党時代の選挙は、激烈となるあまり露骨な買収・干渉の行われることが多く、その弊害はすでに末端の
町村にまで及んでいた。『秋田県政史』
昭和三
○年刊
はこの八年九月の選挙について、秋田魁新報の記事を引き
知事その他の県官の用務出張は悉く選挙干渉のためと註記され、巡査、穀物検査員の果てまで激戦地において
は戸別訪問をなし、反対党に対しては厳酷な制圧を加えている」と述べている
大正九年五月に行われた衆議院議員選挙は、前年の選挙法改正によって有権者の数が二・五倍に増加し、かつ
県内七区とした小選挙区制による初の選挙となった。野党憲政会、国民党はさらに徹底した普通選挙法の実現を
訴えてたたかったが、農村に基盤をもつ政友会が強く、またも絶対多数を占めたため普通選挙の実をむすぶこと
ができなかった。鹿角郡の衆議院議員有権者数は、大正七年末九〇一人がこの時二、四〇二人にふえ、鹿角・北
政
秋の第四区からは成田直一郎
が当選した。ひきつづき地方選挙法の改善も行われ、一〇年四月の町村制改
友
正により、公民資格から直接国税納税要件を廃して直接町村税を納める者とし、町村の等級選挙も撤廃されるこ
ととなった。
このように漸進的ながら選挙権の拡充を行った原首相は、一〇年一一月東京駅頭において暴漢の手に暗殺され
た。原敬のあとをうけて高橋是清が首相となり、政友会総裁をついだが、シベリヤ出兵失敗、財政行きづまりな
どからわずか七カ月で総辞職するに至った。