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範に地歩を固め、いわば金城湯池の観があった。

〓月一〇日に投票が行われ、鹿角郡の結果は、横山候補一〇六三点、町田候補九五八点となったものの、北秋

と合わせた総数において、町田候補が一五七点差をもって当選を果した。この護憲三派と政府与党政友本党の激

突となった総選挙は、その後において報復行為ともいえるほど護憲派に多数の選挙違反検挙者をだし、数次にわ

たる公判を経て六月一六日鹿角は二〇名におよぶ罰金刑の言渡しをうけている。

政府のはげしい干渉にもかかわらず、全国の結果は、政友本党の一一一議席に対し、護憲三派は二八四議席を

得て大勝した。いかに国民大衆の多くが普選の即時断行を要求しているかを、如実にあらわすものとなった。六

月清浦内閣は総辞職し、かわって第一党となった憲政会総裁加藤高明を首班とする、護憲三派の連立内閣が成立

した。これまでの元老政治から脱皮し、近代的政党政治へ転換した意義は大きい。内閣がかわって間もなく、政

友本党系の色彩濃厚とみられる川村竹治満鉄

南満州鉄

道会社

)社長は、任期半ばにして辞職のやむなきに至った。新問

は、政友本党の総選挙費に満鉄機密費を不当流用した責任を口実に、現内閣が辞職を強要したなどと報じている。

加藤内閣のもとに、翌一四年三月、ついに普通選挙法が成立した。それは衆議院議員選挙法改正という形で

満二五歳以上の男子について納税額や財産などによる制限をとり除いたものであった。しかし年令制限が選挙権

一五歳以上、被選挙権が三〇歳以上となお高く、かつ婦人の参政権は認められていなかった。同時に政府はこの

普選法とひきかえに、治安維持法を公布し、社会主義思想や左翼運動をきびしく取締ることとなった。