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第二節高まる労農運動
相次ぐ鉱山争議
再び小坂鉱山に大煙突の煙が絶える争議の発生したのは大正一二年七月のことであった。
真上げ、解雇手当増額、負傷手当支給など一七項目におよぶ要求内容を掲げ、鉱夫一、九
のちの秋田鉱
四四名がいっせいに罷業に入った。この争議はまもなく冶金課長池田謙三
の調停案の提示により、
山専門学校長
六日間で終息した。罷業団の「待遇改善」と大書した大旗をおし立て、労働歌を歌っての示威運動も、秩序整然
と行われた。新聞は、今回の罷業は他の労働団体に煽動された形跡はない、左傾派の応援を一切拒絶したところ
に早期解決の要因があると評している。
時平穏をとり戻した小坂鉱山であったが、翌一三年以降再び大規模な争議の嵐にさらされることとなった。
この争議は初め周辺農民による煙害賠償要求運動としておこり、のちに農民と鉱山労働者の提携による共同闘争
の形をとることになったものである。小坂鉱山煙害問題は明治の後半から大きな社会問題となっていたが、度重
なる交渉によって大正二年からは五カ年一括の賠償支払い方式によることとし、しばらく鎮静の状況にあった。
しかし大戦後急速に社会主義思想や労働運動の高まるなかで、鹿角の農民の権利意識も次第に大きな変化をとげ
つつあった。