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天正一三年一〇月七日煙害のため収穫皆無に近かった小坂町細越の農民老若男女一〇〇余名が日本農民組合盟
東同盟本部川俣清音を先頭に、三流の莚旗に「鉱煙害賠償金請求団」と大書し「歩行不自由の老幼者を馬に乗せ
或は孫に手を引かれ乳呑み児を負へる婦人等一団となり」児童等は悲しき声で窮状を訴え、鉱山事務所へむかっ
た。一一月下旬、さらに中央から可児義雄、加藤勘十らも参加し、日本農民組合小坂支部が結成された。この〓
とによって、まったく新しい運動方法のもとに煙害交渉が行われることとなり、日本農民組合の指導による藤田
鉱業大阪本社での直接交渉の結果、これまでとははるかに有利な賠償金を得ることとなった。
〓一四年秋の収穫をめぐる煙害賠償交渉は、一五年に入ってしだいに激しさをましていたが、その農民運動が
二月に発生した鉱山の待遇改善要求の労働争議と結びつき、労農提携の形で、共通の交渉相手である会社側にあ
たるという新局面が展開した。鉱山の争議団は、交誠会とは別に日本鉱夫組合小坂支部を結成して罷業に入って
いた。争議は長びき、争議団は小坂農民組合から資金や食糧の援助をうけ、とくに三月二〇日争議団と会社側警
戒夫との衝突に際して、竹槍、鎌、鍬をもって武装した小坂農民が応援に加わり、ついに流血事件に発展する騒
ぎとなった。いわゆる竹槍事件である。
四月四日争議団員の製錬所襲撃によって、鉱山側は全山ストの危機感をつよめ、小坂警察分署長の調停をうけ
容れる形で、早期解決を図った。四月七日調停書の調印が行われ、一カ月におよぶ激しい争議は終息した。争議
団幹部一七名の首切りはあったが、まもなく鉱山は交誠会に対し男一〇銭、女五銭の日給増額、期末賞与五割増
加を回答している。この争議の最大の特色は、労働者(日本鉱夫組合)側と煙害被害農民(日本農民組合)側の
提携による共闘態勢を組んだことにあった。