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争議の混迷
手議の様相は、組合対鉱山ではなく、組合員対同志会員の形で日毎に抗争の度を強めていた。
鉱山は、反抗的な者は馘首する、会社の方針に不服な者は退山してもらうという態度を終始崩
さなかった。組合員には青年層が多く、同志会員は中・老年者で、鉱夫組合の暴走から休山にでもなれば自分た
ちも路頭に迷わねばならないという意識がつよかった。組合側の不利な状況の一つに、折悪しく不老倉鉱山の四
月休山が決定し、同山鉱夫が低賃金で尾去沢へ流入することが取沙汰されていた。
二六日夜応援のため来山した麻生久
日本労働農民党
中央執行委員長
は、翌日組合事務所において川俣清音等とともに演説〓
を開き、帰途大館、秋田検事局に立寄り公平な取締を要望した。二九日正午現在で、馘首者は八五名の多きにの
ぼった。加藤勘十、高橋長太郎をリーダーとし徹底抗戦をはかった組合は、書記長木村定治、争議部長亀山三五
郎のもとに、三〇日ストライキ宣言を行った。すでに来山していた磐城炭坑組合、土崎合同労働組合の幹部、豊
民組合米沢岩吉
錦木支
部長
)・兎沢)
柴平支
部長
)らも協議に加わり、労働農民党、日労党、全秋田合同労組、無産青年同
盟などの各支部へ檄をとばし応援を求めた。
ての三〇日午後尾去沢村会が招集され、今回の争議はリーダーの煽動に依ったもので、村の発展を阻害し、書
少年の悪感化と良風淳俗の喪失が甚だしい、よって断然加藤勘十を下山せしめること、の決議をあげた。
四月二日、争議の調停をはかるため、三菱鉱業と縁故の深い九州中島鉱業重役高野喜六が尾去沢に到着した。
翌三日加藤勘十と会見し、意見の交換に入った。鉱山の態度強硬で調停の余地なしとみた争議団は、四日正午か
ら行動を開始し、総罷業に入るべく同志会員の切崩しに奔走した。鉱山は同志会員を動員して物々しい警戒態熱
を布き、双方の示威運動とビラ宣伝合戦に騒然たるものがあった。六日午後九時応援の磐城坑夫組合幹部出迎え