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るとして相手にされなかった。

た。

農民側は持久戦を覚悟して争議団の発会式を行い事務所を花輪町阿部春間宅に置いた。団長に田中与助、会計

に花輪の阿部才一郎、丸山仙太、曙の大石市松、阿部多次郎、柴平の川又兼吉、宮川の菊地長太郎、ほかに実行

委員二〇名、書記三浦雷太郎等を決め、資金として小作米一俵につき五合の割合で拠出することとした。このよ

つな態勢のもとに花輪町一二〇名、柴平村一〇名、宮川村六〇名、曙村一〇〇名をかぞえる南鹿争議団は、その

四カ町村に毛馬内町を加えた一六二名の地主に対し、耕作反別二〇〇町歩の小作料二、三割減額の運動を起こし

注〓

四年一月に入って争議団側は、共同保管をしていた約六千俵の小作米を売却の上大館裁判所に供託することと

し、争議の持久策にでた。これに対し地主会は交渉事務所を阿部百助方に設け、争議対策会長に柳沢源太郎、副

会長に小田島治右衛門、委員に石木田新太郎、関善次郎、小田嶋卯助、高谷謙太郎、西村忠次郎をあげ、強制執

行を辞さぬ構えをみせた。

月余におよぶ対立が続くなかで、まず毛馬内の関係地主一〇名のうち山本修太郎はいち早く永久一割五分の小

作料減額を言明し、中小地主や民政派といわれる地主たちは次第に争議団の要求を容れる意向を示しはじめてい

た。一月二六日に至り、地主会の総帥というべき関善次郎が約二割引で単独解決の姿勢を示したことから、一益

に地主側の結束は崩れた。しかし強硬派の花輪一五名、毛馬内六名等の地主は、大館町中村弁護士を代理人とし

個別に小作料請求訴訟をおこした。これらの訴訟も結局、県係官の調停のもとに農民組合側の要求をいれる形で

解決がはかられ、例えばもっとも困難とされた石木田家対小作人九〇余名の減額訴訟も、同年九月に二割引の条