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第三節普選後の町村
一、普選と政情
普通選挙はじまる
晋通選挙法にもとずく最初の選挙は、昭和二年九月における県会議員選挙であった。普
悲実施によって有権者は大幅に増加し、この時の選挙確定人員は鹿角郡で一万〇、六八
四人、前回(
大正一
二年
)の四、三九五人にくらべ二・四倍をこえ、全県では一八万七、四九七人、前回の八万九、七
一七人にくらべ二・一倍という増加を示している
この時期、二年四月若槻礼次郎憲政会内閣が総辞職し、田中義一政友会内閣にかわった。さき(
大正一
三年
)に政友
会から分裂していた政友本党は、憲政会との合同運動がみのり、六月立憲民政党を組織した。しかし政友本党顧
問川村竹治や同党所属の県会議員多数が、脱党して政友会にはしるなど、二大政党対立のなかで、県政界はいっ
そう複雑さを増していた。
同年七月立憲民政党秋田県支部が発足した。鹿角からは、幹事に県議の山本修太郎
県会
議長
、大里周蔵、相談役
に豊口竹五郎、関善次郎、児玉高慶、大里巳代治が指名され、かつ山本修太郎は党務委員長に就任した。その後
鹿角郡党務委員として根本一三、豊口忠三、関威、板垣熊太、大里清三、阿部藤助、谷地政民、青山文太郎、本
〓勝、児玉政七、小笠原藤次郎が決定している。なお鹿角郡に限っては、与党政友会の劣勢はまぬがれず、石木