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満場一致の決議によるものであった。その盛大な祝賀式典で、谷地政民町長は「わが町の如き温泉として天然の

〓沢に浴する外、十和田湖の関門として愈々発展の途に就く以上、経済生活思想其地各般の事情長く農村的現状

方針を以て之に処するを許さず」と、祝詞のなかで町発展策として農村脱却の必要をつよく述べている。

町となった後の大湯も、なかなか政情の安定に向うことができなかった。七年一月、役場吏員五名が突如町長

に辞表を提出して出勤せず、事務はまったく渋滞するという事態が起こった。同年六月、農村不況打開の町民大

会が文化閣において開かれ、おもに反町長・民政派の弁士からはげしい町政批判が続出した。

この町民大会を契機とし、局面は凶作救済政府米払下げ問題を加えて、一挙に町長不信任の方向へ進んだ。政

府米問題は、さきに政府が凶作地救済のため決定した政府米払下げについて、県より二月中大湯に必要の有無の

問合せがあった際、町より「該当者なし」の回答がなされた。後おもに草木地区に深刻な欠食世帯がふえ、町会

は四〇〇俵、さらに八七〇俵の変更決議を行ったが、県とはほとんど何の連絡もとれないままであったため、釣

府米払下げは到底望めない状況を招いていた。

ここに多数の町民は町長不信任運動を開始し、八月初めの町会に一、〇〇〇余名の連判状をもって辞職を迫ろ

うとし、一二名の民政派町会議員は町会の議決のもとに町長の行政上の不当性を県知事に陳情した。さらに一一

月、町会は町長に脱税と救農土木工事に使途不明金があるとして花輪署に告発することを決議した。翌八年、

の捜査の進展とともに、関係者の送検はもちろん、工事に従事した男女四八〇余名が集落別に出頭を命ぜられ、

個別に支払帳簿と領収金の照合・取調が行われるなど、全町あげて不安に包まれることになった。

このような裁判事件となるほどの紛争をくり返しながら、八年五月の町会議員選挙には再び町長派・政友系が