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多数を占める結果となった。当時の町長派、反町長派に分かれる深刻な政争も、結局はその背景に未熟な政党政

治の弊害が色濃く影を落していたのである。

銅木村の政情も、不安定な状態が長い間続いていた。村長派、反村長派の露骨な反目、抗

錦木村政の混乱

争が事々に裁判沙汰となるのが村の特色のようにさえいわれていた。昭和二年には、まず

神田三七町歩余の田地に引水される灌漑用水堰の、水利妨害訴訟が起こった。この用水堰は、鉱毒を避けて尾去

沢鉱山が設置したもので、訴えられた側が管理者である村長の身内であること、被告側の引水しようとした堰下

の荒蕪地は、県がさきに原告側から提出した使用認可申請を却下し、直後被告側に認可した曰く付きのものであ

ることなど、複雑な政治的動きがからんでいた。

同三年、尾去沢、小坂両鉱山の毒水排除工事が大正一八年(昭和四年)着手の契約となっていたところ、鉱山

不況を理由とする延期の申出があり、その対処をめぐって村会が紛糾し、加えて開墾地払下や、秋鉄建設工事に

かかわる刑事事件なども次々に起きていた。同四年になって、某村会議員らが尾去沢鉱山から土深井集落約四〇

戸の産業助成金一、三〇〇円を受取りながら、公表も分配もしなかったことから動揺がおこった。この助成金名

目の証書には、部落有私有を問わず既往から昭和一四年末日まで、煙害問題に関する苦情は一切提起しないと記

され、これまた助役・村議らの費消事件として疑惑を招くことになった

このような役場帳簿の不整理や、利権をめぐる訴訟続出を憤る村民有志により、四年九月村当局の無能、村会

議員横暴糾弾の村民大会が古川において開かれた。

同村の癌とされる赤坂田開墾地問題の早期解決を望む声がもっとも強く、県に対する陳情委員の選出がなされ