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この未曽有の大変災に対し、皇室より御内帑金下賜と小倉侍従の御差遣があり、ほか外国大・公使館等かられ
多くの見舞金があった。県内外からの義捐金とともに鉱山から一〇〇万円の弔慰金が支払われ配分された。以前
の市街地、中沢、獅子沢、笹小屋などの低地からは一戸残らず移転することとなり、町役場も新築まもない庁舎
を空家として小学校へ移った。変災後ほぼ三カ月にしてようやく復興計画が動きだし、軽井沢の台地一帯を新た
な市街地住宅地となすべく、まず幅六メートルの新道路が蟹沢わきから学校上の台地へ向けて開鑿されていった
かくして深い悲しみをのり越え、町と鉱山が一体となり力強く建設の道を進みだしたのであった
注1秋田魁新報昭和三年三月一五日付
注2同同六年八月一九日付
注3同同六年五月一日付
注4鹿角時報同三年九月一五日付
狂5同同七年一月二五日、同六月二五日付
注6秋田魁新報同七年八月五日付
注7鹿角時報同七年一二月二一日付
秋田魁新報同七年一二月二五日付
注8同同八年三月一三日、三〇日付
注9同同四年四月二七日付
注〓同同四年四月二七日付
注〓同同四年九月二六日付
注〓同同五年四月二二日付
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