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第四節戦争への道

満州事変おこる

昭和六年(一九三一)九月、奉天(

現在の

藩陽

)の北柳条湖における南満州鉄道爆破事件に端を

発した満州事変は、政府の不拡大方針を無視した関東軍によって、忽ちにして戦火を拡大

した。いわゆる十五年戦争の発端である。

当時国内は、昭和恐慌によって経済の不振は続き、政治は政友・民政二大政党の対立による党利党略に堕し、

国民の政党や資本家に対する不信・不満は増大するばかりであった。とくに農民は小作争議の頻発する状況のも

とに、生産過剰から慢性的な農産物価格の下落、アメリカ不況のため生糸輸出の減少など、農村恐慌とよばれる

深刻な打撃をうけていた。このような情勢のなかで、軍部は中国民族主義運動の高揚やソ連の東進政策に脅威を

中国東

感じ、不安定な満州(

)・内蒙古地方におけるわが国の権益擁護を口実に、その武力制圧を図ったのであっ

北地区

た。

満州事変がおこって間もない一一月、郷土部隊の秋田第一七連隊にも満州派遣の命令が下った。まず第三大隊

六〇〇名が出動、奉天から四平街、チチハルと移動し、鉄道警備や匪賊討伐に従事した。つづいて本隊一、二〇

○名は、七年四月から大陸各地を転戦し、翌八年一月に始まる内蒙古東部の熱河省に侵攻する熱河作戦の遂行に

当たった。なおこの部隊が秋田へ凱旋したのは、九年三月であった。

軍部の独走をくい止めることのできなかった若槻民政党内閣は総辞職し、六年一二月犬養毅の政友会内閣が成