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毛馬内町でも、翌一四年一月から町救助規程を施行しているが、救助対象者は、生業を営むことができず他に

頼るものがない者、罹災による窮乏者などとしている。支給は金銭で、罹災による窮乏者へは一日五〇銭以内で

あった(

毛馬内町『諸条例及

諸規定』大一四・一

)。このほか、貧民救済のために各町村とも罹災救助基金、慈恵基金などがあったが

その適用範囲はきわめて狭いものであった。

二、社会福祉の展開

方面委員

弟一次世界大戦後における生活の困窮と社会不安に対応するため、大正六年岡山県に初めて済

た。

生顧問制度が創設され、翌七年これを整備した形で大阪府が方面委員制度をスタートさせた。

秋田県でもこの制度の必要なことを認め、昭和二年二月秋田市ほか八カ町にはじめて七七名の方面委員を委嘱し

更に県では社会事業を積極的に進めるため、四年二月新たに一三カ町村に方面委員を設けることとし、鹿角で

は花輪町六名と小坂町九名が委嘱された。花輪の方面委員は上通り担当大庭成章、黒沢武男、山崎順二、下通り

担当小田島富四郎、川村薫、赤坂文弥であった

鹿角時報、昭四・二・

一五、同三・一〇付

)。

その後の各町村における状況は第四表の通りであった。

方面委員は奉仕による名誉職で、担当区域内の要保護者の調査とその実態に適合した救護を考えることにあり、

その取扱い内容は第五表のようであった。