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託児所
入正一三年一〇月、尾去沢鉱山では幼児の保健衛生の向上、婦人従業員の勤労意欲の向上を目
〓として、鉱山独自の乳・幼児託児所を開設した。木造平家建一棟で、内部は保育室、授乳室、
秋田
一・
)。
乾燥室、事務室、物置の六室、保母二名が生後三カ月以上四歳以下の乳・幼児の世話にあたった。保育料はミル
ク保育を要する幼児は一日七銭、その他は三銭、保育時間は始業前三〇分から終業後二〇分までであった(〓
魁新報、大一)。
魁新報、大一
一〇・二二付、
一〇・二二付、
当時尾去沢鉱山従業員一、五四八名のうち、婦人従業員は一四九名。その大半は選鉱場で働く手選婦で共稼ぎ
のケースが多かったから、鉱山託児所は大歓迎されたという。乳児をもつ婦人従業員には昼休みのほか、午前・
午後各一回三〇分の授乳休憩が与えられていた。
この託児所は、戦後婦人従業員の減少、公立保育所の設置などにより、昭和三〇年代に消えた(〓
『秋田県社
会福祉史』
)。
花輪町における託児所は、同町山崎順二が妹正子、山崎つや子との三人で、上花輪の自宅座敷を開放して同一
三年九月に開いたのに始まる。希望者が六〇人以上もあって收容しきれないため、午前午後の二組編成にしてい
た。当時、この託児所は山崎幼稚園といわれていたという(
青年乃鹿角、大一、
二・一〇・一五付、
)。
山崎順二の奉仕的事業として開設されたこの託児所は、父兄には経費負担をさせなかった。町では一四年度か
ら、私立託児所補助費を計上して、援助していた(
青年乃鹿角、大
一四・三・一付
沢
○この託児所は昭和二年上花輪三二(
〓)に
移転し、五年山崎順二が離町したあと、小田島治右衛門が経営にあたった。
六年度の入園児は一三〇名、これを保母二名、助手一名で、午前九時から正午まで保育にあたっていた。経費
九八〇円は町補助五〇〇円、月謝および寄付金四八〇円で運営されていた
昭和七年度『庶務事
務簿』花輪町役場
)が、七年五月以降、