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長に指示している(

)。

『町村長会資料』

大一〇・六・二四

大正末から昭和にかけて、郡内の医療従事者は医師を中心に、第一二表のとおりであった。

この時期は、医師法以前の免許による医師と、大学、医専卒業の医師と新旧入れ変わる時期にあたり、後年に

比し産婆も比較的多い時期であった。

町村医

〓和二年、県では開業医や産婆のいない町村に対し、公費をもって医師を招致するための補助

金を交付する計画をたて、極力その設置方を促した。この年、町村医設置の補助をうけたのは

県内で一二村、町村産婆補助は四町村で、鹿角では大湯村が町村医設置補助をうけている

『県勢要

覧』昭三年

)。

この時期、大湯村の医療状況は「戸数八百余戸、山間の僻地にして、未だ本村出身の医師なく、多数の医師を

有する隣町毛馬内町は本村を距る一里半、僅少の富裕者以外は殆ど医師の診察に接する能はざるの状態」(

昭和

令書

三年度『申請指

綴』大湯村役場

)であったが、村医設置によって、一般患者にも診療を受けさせることができて、困窮家庭にも医

療の手がおよぶことになったとして、その後も村医設置補助の申請を続けていた

昭和五年度『申請

書綴』大湯村役場

〓。

しかし地域的に偏在している村では、容易に医師を招致できない悩みがあった。このため、県では三年八月か

ら診療班を派遣し、住民の要望に応じて無料診療と簡単な治療を行うこととした。鹿角で、この巡回医療班の診

療をうけたのは宮川村であった(

『県勢要

覧』昭四年

)。

県の巡回医療にさきがけて、その前年すでに巡回医療を行っていたのは日本赤十字社であった。

巡回医療

無医村の巡回医療を行うこととなり、鹿角では錦木、宮川の二村で実施された。

日赤秋田支部は、昭和二年九月、支部病院の医師一名、書記一名、看護婦二名で県北の三郡の

無医村の巡回医療を行うこととなり、鹿角では錦木、宮川の二村で実施された。