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銅木村では錦木小学校を会場として一〇・一一両日、その後宮川村宮麓小学校、谷内公会堂で各一日、計四口
間開設された。丁寧な診察で希望者には処方箋を与え、容態によっては事後の治療法についても懇切な注意を与
えるなど、好評であったという(
鹿角時報、昭二
・九・一五付
)。
日赤秋田支部による巡回診療は、その後一〇年にも行われ、八月八日秋田衛戍病院長、書記一名、看護婦一
名、薬草研究家一名により宮川村で行われた(
『日本赤十字社秋)
田支部百年史』
)。
このほか県では、六年の農村不況に際し各方面から寄せられた凶作地義捐金により、七年六月二一カ町村で凶
作地医療保護施設を開設することとした。このうち鹿角では、宮川村、大湯町、七瀧村で行われた。このときの
医師は、宮川村では山口幸吉が谷内公会堂、熊沢分教場で各一日、大里周蔵が宮麓小学校で二日間、大湯町では
小笠原三春が大清水開墾事務所、扇平分教場で各一日、また七瀧村では小笠原季治が大川岱分教場で一日診療〓
あたった。その後も医療保護施設について郡医師会では、半額で診療することとしていた(
秋田魁新報、昭)
七・六・一四付
)。
医師会
大正八年、医師会令(
令
勅
一が公布された。この公布により、医師の免許を得た者は郡市医師〓
を設立すること、郡市医師会は県医師会へ強制加入することが義務づけられた。このため従来
)。
の省令医師会は自然解散の運びとなり、鹿角郡医師会は九年四月県から認可された
「秋田県
史』年表
花
県医師会創立総会は同年五月秋田市で開催され、郡から代議員として米山彦郎
坂
小
之)、浦井財治一
)が出席
し、浦井はその席上、評議員に選出されている一
秋田魁新報、大
九・五・二九付
公法人としての県医師会第一回定時総会は七
月開催され、鹿角からは代議員として米山彦郎、郡会員互選による評議員として浦井財治が出席した(〓
秋田魁新報、
九・七・五
休)。