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歯科医師会も医師会と同様に法定化され、県連合歯科医師会は九年五月法令の改正による会則改正を行ってい

る(

)。

秋田魁新報、大

刀・五・二九付

トなお、公法人としての県歯科医師会の創立は一五年六月であった

『秋田県

史』第七巻

このほか一四年四月、秋田市での第一五回県薬剤師会総会に郡から評議員として佐藤泰治(

)が出席してい

)。なお、公法人としての県薬剤師会の創立は一五年六月である

『秋田県

史』第七巻

)。

花輪町を中心にかねてから公立病院設置計画があり、大正一四年には大館、小坂、花岡等の

る(

鹿角薬剤

師会調

病院設立運動

病院の調査を行うなど、その実現にむかって進んでいた。

)。

それによると、郡南の花輪、柴平、曙、宮川の四町村は、建物五万円、敷地一万円、備品費三万円、雑費その

他二万円、計一一万円で花輪に公立病院を設立するというものであった。たまたまこの四町村は避病院を建設し

なければならず、そのため一万円以上を支出しても普段は閉鎖しておくのは不得策であり、敷地内に避病院を設

けて、患者発生時以外は普通患者の病室に利用しようという事情も、その背景にあったという

『秋田魁新報、大

五・三・六付

しかしこの計画は、経費の分担や起債が認められないこともあり、実現しなかった。その後、花輪町単独で公

立病院設立の動きもあったが、これまた実現しなかった。この時期、公立病院設立計画と花輪実科女学校の県立

鹿角時報、昭七)

移管とが同時となり、財政計画がともなわなかったためであった(

・六・一五付

)。

花輪病院

花輪町に病院をの願いは、昭和七年にようやく実現した。しかし、それは公立病院ではなく私

立病院であった。

化輪の湯瀬勇七はかねてから花輪町に総合病院設立を計画していたが、同年六月停車場通りに花輪病院を開業

することでようやく実現した。工費は約三万五千円であった(

鹿角時報、昭)

七・六・五付