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開院後半年あまり経過したときの診療科目、医師は次のとおりであった一

鹿角時報、昭)

八・一・一付

)。

院長医学博士村松正雄

副院長医学士川又選太郎

婦人科・内科医長医学博士村松正雄

外科・皮膚科医長医学士川又選太郎

耳鼻咽喉科医長医学士今井静雄

歯科・口腔科医長

日大歯科

医学士

池田康太郎

歯科技工士酒井正光

レントゲン技師湯瀬安〓

明治

薬局長〓

薬局長明〓学士倉次慎

倉次慎吾

薬学士

事務長小林清〓

当時の鹿角にとって堂々たる陣容で発足した花輪病院ではあったが、開院当初から診療料を半額にしてさえ所

期の診療成績を挙げ得ず、一年にして医療組合に組織替えがささやかれるようになった(

)。

鹿角時報、昭八、

・七・一一付

そして九年一一月、この湯瀬勇七所有にかかる花輪町字八正寺一三番地の建物及設備

建坪三二一坪一合三勺

附属建物

一、准耐火構造木造二階建一棟

一、木造柾葺平家建物置小屋一棟

外二階三二坪五合八勺

但し本建家に対する附属品及医療機械機具等物品

を一万八千円で鹿角医療組合に譲渡することとし、わずか二年でその歴史を閉じた

『鹿角組合総合・

病院五〇年史』

)。

鹿角医療組合

秋田県の医療組合運動は、大正一五年六月の秋田消費組合設立に始まるといわれる。組合長

はかって花輪小学校に奉職したことのある鈴木真洲雄で、役員の中には後に鹿角医療組合創

立者の一人である中村次郎もいた。組合員名簿には花輪の村田信一の名も見えている

『鹿角組合総合』』

病院五〇年史』

昭和六年一〇月秋田消費組合は秋田医療組合設立を県に申請し、翌年一月認可となった。これにより県内各地

)。