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にも医療組合設立の気運が高まり、大館町で北鹿両郡の医療組合設立の動きが高まり、花輪町でも組織化の声が

あがっていた。しかし鹿角郡医師会では医療組合は到底維持困難であり、開業医が薬価、診療費の値下げをすれ

ば、その必要もなくなるという意見が多かった(

鹿角時報、昭七)

・一二・二一付

)。

一方、町民の中には実費診療所など軽費医療機関をとの声もあり、中村次郎や各町村有志は四、〇〇〇人以上

の組合員を募り、鹿角医療組合設立を計っていた。それによると、産業組合法による医療組合即ち医療購買利用

組合を組織する、花輪町に本院を置き、郡内に診療所を設ける、出資金は一口五円で申込み時に一円、残金は五

○銭ずつ払い込むというものであった。

医療組合設立発起人会は八年七月に開かれ、組合長理事関善次郎、専務理事村山貞治等を選任したほか、組合

員約四、七〇〇名とする計画案を決めている(

鹿角時報、昭八

・七・二一付

。その後組合員募集を始め、関善次郎以下三、五

一七名の加入者を得て認可申請し、九年八月有限責任鹿角医療購買利用組合として認可され、一〇月一〇日さき

に買収した花輪病院で業務を開始した。設立当初の組合長理事は関善次郎、専務理事には村山貞治が、病院長に

は前花輪病院長村松正雄が就任した(

「鹿角組合総合)

病院五〇年史』

)。

鹿角医療組合では事業充実のため、小坂、柴平に診療所、大湯に出張所、湯瀬に出張診療所を開設したが、い

ずれも永続しなかったといわれる。

医療組合はその後、一六年七月曙、宮川、尾去沢、柴平、小坂、大湯、花輪各町村産業組合を会員とする保証

責任鹿角医療購買利用組合に改組して、その事業を継承することとなり、以後鹿角組合病院と称した。

しかし、この組織も一七年一一月保証責任秋田県信用販売購買利用組合に統合され、さらに一八年一二月には