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三〇〇人以上の事業所では健康保険組合を設立しえ、独自の運営が認められ、これを組合管掌健保とよんでいた。
た。
郡では尾去沢・小坂両鉱山はこの組合管掌健康保険を作るため、政府管掌健康保険組合は一七工場、労働者一一
○名に適用される予定
青年乃鹿角、大一
五・一二・一五付
)という状態であった。なお、保険料は事業主と被保険者の折半であっ
尾去沢鉱山健康保険組合の場合、一般従業員の負担額は賃金の一分五厘であった
秋田魁新報、昭
二・一・九付
)が、健康保
険積金の一部をもって、八年一二月健康保険組合湯瀬温泉保養所を開設している
鹿角時報、昭九
・一・一一付
)。
一一年一二月健康保険法施行一〇年を契機に、健康保険組合連合会が誕生した。県では一七年三月、小坂鉱山、
同花岡支部、三菱尾去沢鉱山の三健康保険組合をもって、健康保険組合連合会秋田支部としたが、戦前の連合会
加盟はこの外にはなかった(
『秋田県史』
第六巻
ス』)。
農村経済の疲弊救済策の一つとして、農山漁村民を対象とする国民健康保険制度は、一三年国民健康保険法と
事典『昭和戦
前期の日本』
○。
して公布された。これは当時世界的にも例のない、わが国独特の地域保険であった
)。
『秋田の国保一
『秋田の国保三
○年の歩み』
『〓の〓)