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したが、花輪区裁判所のみは戦前ついに復活するに至らなかった

また、毛馬内出張所は花輪区裁判所廃止により、大館区裁判所毛馬内出張所となった。庁舎は昭和一二年九月

古下から城ノ下四番宅地に移転している

『管内のいろいろ』秋田・

地方法務局毛馬内出張所

)。

陪審裁判

陪審裁判制度は大正一二年陪審法により定められ、昭和三年一〇月施行された。

この陪審裁判制度は地方裁判所の刑事事件についてのみ認められ、陪審員になれるのは国税

円以上納入の三〇歳以上の男子で、各事件における陪審員の選定は抽選によった。

二年一一月、大館区裁判所監督判事が監視官として出席のもと、花輪町陪審員候補者の抽選が行われ、相馬利

相馬利

)、工藤駒吉、奈良福太郎、安倍佐六、佐藤茂吉に決定している

鹿角時報、昭二

・一一・一五付

。なお、県最初の陪審

助か

裁判制度による公判は、四年に開かれた小坂町における強姦未遂致傷事件であったという

『秋田県文

化史年表』

)。

濁酒密造

明治時代、自家飲酒酒造法により一般に濁酒の自家醸造が許されていたが、三二年一月同法は

廃止された。その後、濁酒密造は「秋田県の病的犯罪」といわれるほど増加し、県は全国一、

北鹿地方は県内でも一、二を争う密造王国として、その跡をたたなかった。大正初期には郡長が諭告や内訓によ

大正三年組織

り町村長を通じ矯正に努めたほか、宮川村の矯風会

のように、村を挙げて密造防止に取り組

『宮川村是調査』

むところが多かった。

大正五年、県警察部では各警察署、分署毎に濁酒密造の甚だしい町村を濁酒密造矯正町村に指定し、専任巡杳

を配置して密造防止にあたらせた。このとき矯正町村となったのは花輪警察署管内では曙村、毛馬内分署管内で

は錦木村、小坂分署管内では上小坂ほか六部落であった

『東北六県酒類密"

造匡正沿革誌』

)。