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これまで県道に指定されて改修の行われて来た濁川街道は、毛馬内から青森県界までの三里二五丁が県道を廃
されることになった。
来満街道の改修工事は、秋田県と青森県の協定により両県の継続事業として行われて来た。秋田県側の一一年
度の改修工事は、気候の関係で、一二年度に繰り越されることになった。
この頃の十和田街道の状況は、毛馬内・大湯から発荷までは自動車・馬車の通行が可能であったが、その先は
人力車か徒歩でなければ通行が出来なかった。
大正一一年七月、十和田街道のうち、中滝から発荷の間は、砂利を敷いてその上に白土を盛り、ローラーで固
めたので歩きやすくなった。ところが、一〇月二日の県北地方の大雨で、土沢地内において山壁七〇間程崩壊し
て道路一帯を埋めつくした。即日復旧工事に着手したので、間もなく通行出来るようになった。
観光道路として注目されてきた十和田街道も、青森県側では、官民が一体となって道路改修を行いすでに自動
車の通行を実現していた。それに較べ、秋田県側は大正末年頃も依然として遅れた状態にあった。
郡道の県道への編入
郡制の廃止にともない県道に編入される道路は、それなりの体裁が整っていることが
必要であった。そのため、花輪から大湯への路線、花輪から尾去沢・長内・小豆沢へ
の花輪宮川線の工事が行われ、大正一二年五月に竣工した。
花輪大湯線は、県道鹿角街道の花輪町小坂分岐点から柴平村を通り、大湯に至るものである。その工事箇所は、
柴内の西町から東町へ越す坂・柴内小学校下の坂・高市に入る坂・小平に入る坂・小枝指館より下の坂・寺坂に
上る坂・大湯在郷坂から小学校の所に出る開鑿工事であった。