テキストを表示
を組織して、六人乗りの自動車を購入してからである。秋田鉄道毛馬内駅の開業をあてこんで、ここを起点とし
て花輪・毛馬内・大湯・小坂間の運行を行った。また、客の求めに応じて、十和田・不老倉・湯瀬・盛岡まで往
復するものであった。
鹿角における自動車による交通事故の発生は、この年の八月一四日に鹿角乗合自動車営業組合の自動車が子馬
をひいたものであった。人身死亡事故は、大正一一年九月に起きた直前横断の老婆をひいた事件であった。
入正九年、自動車が中瀧までしか運転されていない時に、大館の山徳自動車の山本弓太郎が始めて発荷峠まで
運転に成功した。曲田慶吉著『鹿角郷土史』によれば
大正九年六月此の山本氏、十和田湖をして天下の十和田にするには、道路問題である、道路はあの通りの山坂であるが
"瀧からは当時全く車が通れなかったのを遺憾とした山本氏。花輪小学校々庭に花輪、沢口道路を自動車で登り上げ、そ
れから横町の法華寺の側、浦井医院前にこれ又自動車で下りて、其の山坂上下の試運転をしたのである。(中略)そ
ら十和田に向かったのである。発荷峠に至るあの坂の上下の運転、一歩誤ればあの谷底に転落することは当然、小石大
をかたつけながら、大緊張せる山本氏、遂に其の運転に成功した。発荷まで自動車が行くそうであると言はれても、当
は誰も真実と聞くものがなかった程のことであった。
と記されている。
翌一〇年の状況は、毛馬内の内藤順吉の十和田遊覧自動車会社(十和田自動車会社)では、毛馬内駅に二台の
日動車をおいて、発荷峠まで二時間(帰路一時間)で営業している。また、鹿角乗合自動車営業組合は、六人乗
り四台で毛馬内駅を起点として大湯温泉・花輪・小坂などまで、また十和田行きは中瀧まで運行している。しか
し、道路の状態は危険極まりないもので、早急に改善されるよう各方面から要望されていた。