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入購車級高式三三
(番六六話電)
ーシクタ部樂倶
(「鹿角時報」昭和8年4月21日付広告より)
第1図昭和初期のタクシー広告
大正一一年から営業を開始した佐藤喜代治の佐藤
自動車営業部は、翌年岩手県の認可を得て花輪から
花輪線平舘駅まで運行して連絡の便宜をはかった。
その後花輪線の工事の進捗状況により、昭和二年に
は赤坂田駅まで、同四年には田山駅まで、鉄道連絡
の定期乗合自動車が運転された。
昭和二年、十和田顕勝道路の工事が七万一、〇〇
〇円の予算で実施され、九月までには自動車が湖畔
まで通行出来るようになった。幅員拡張工事の完成
は、翌年の五月末であった。
昭和初年に自動車の営業を始めたのは、千葉旅館
自動車部(大湯)、花輪倶楽部自動車部(花輪)、三ケ田自動車部(花輪)、荒虎自動車部(花輪)、湯瀬ホテル自
動車部(湯瀬)、二葉自動車部(花輪)、文化タクシー(花輪)、実用タクシー(花輪)、昭和タクシー(花輪・谷
内)、ナラヤスタクシー(花輪)などであった。
昭和三年三月に、鹿角郡自動車営業者の組合が結成され、秋田県自動車協会鹿角郡支部も結成されている。
やがて鉄道の駅を中心として定期便の乗合自動車が、数多く運行されるようになってきた。主な路線は、前記
のほか、花輪・小坂間、花輪・大湯間、花輪・谷内間、花輪・曙間、毛馬内・大湯間、花輪・蒸ノ湯間、小坂