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砂子沢間、大湯・八戸間などがあった。また、貸切の求めにも応じていた。車両の増加に伴い、交通事故も頻繁

に起こるようになってきた。交通規則違反によるもの、特にスピードの出しすぎによるものが多かった。整備不

良の車両を取り締まるため、警察署で自動車検査を行ったりしている。昭和五年には、自動車業者間の利害の対

立から紛争が起こり、運転手の喧嘩や自動車を焼く事件まで発生した。

バスの運行

日動車の利用者はしだいに増加し、大型化の必要が生まれバスが導入されるようになった。例

えば、昭和三年五月花輪倶楽部自動車部は花輪・小坂間に定期乗合自動車を運行し、次のよう

な時刻表で乗客の便宜をはかっていた。

花輪発毛馬内発小坂着

〓六・二〇六・四五七・一〇

八・五〇九・一五九・四〇

後一二・〇〇一二・二五一二・五〇

二・〇〇三・二五三・五〇

五・四〇六・〇五六・三〇

小坂発毛馬内発花輪着

前七・三〇七・五五八・二〇

一〇・〇〇一〇・二五一〇・五〇

〓一・三〇一・五五二・二〇

四・二〇四・四五五・一〇

六・五〇七・一五七・四〇

その後、九年四月赤旗クラブタクシーでは大型バスを増車して、一日六往復に増便している。

昭和九年八月五日、青森市から秋田県側の生出まで、鉄道省経営の省営バスが運転されるようになった。青森

県側道路の改修整備における熱意が強かったのに比し、秋田県は十和田湖観光道路に対する配慮がまったく足り

なかった。それでも地元の町村会や有志の働きかけにより、当初の予定である「青森市から休屋まで」を「青森

市から生出まで」に延長することができた。翌年には各方面からの熱意により、一八万円の巨費を投じて道路の