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救農・匡救事業
による道路整備
昭和六年、経済界の不況によって失業者が多数発生し、これを救済するために政府は失業
双済道路改良費予算を新たに設けた。地方に対しては、府県道の改良事業を促進させるた
〓、補助金を支出した。これにより、この年鹿角では毛馬内発荷線外二路線(改良延長七、
〇〇〇m)に事業費一七万〇、四七二円が割り当てられている。
さらに翌年、政府は前年度の失業救済事業の外に産業振興道路改良事業を策定し、産業の進展をはかるために
自動車の発達による道路改良に応じ、昭和七年以降五カ年にわたる計画をたてた。秋田県においても、国からの
予算割当により昭和七年から九年度までの失業救済産業振興・農村振興時局匡救道路事業を実施した。初年唐
の鹿角の道路は、県道が大湯柴平・宮川・小坂・同大川岱地内、町村道は花輪町・毛馬内町・大湯町・曙村の冬
道路で、林道の開設は宮川村を対象としていた。
昭和八年一〇月、県の匡救土木事業として柴平村の県道の内、西町と東町との間の傾斜切取工事が、工費四
五〇〇円で行われることになった。また、花輪町新田町から宮川村玉内の下までの路面改良と、柴平村の根津川
の鉄筋コンクリート橋、稲村橋を鉄筋コンクリート橋、鏡田橋をコンクリート橋にするものであった。
同年、湯瀬温泉の湯瀬駅から道路に沿い、下って踏切りを渡り姫の湯の前を経て上ノ湯に出、真直ぐ突き抜け
てのち右折して湯瀬ホテルの前に出る湯瀬環状線が、工費二、五〇〇円の救農工事として行われた。
前年の洪水により一部流失した稲村橋は、架替工事費として県費二万六、〇〇〇円が支出され、同年一二月一
八日に竣工し、昭和九年五月一一日に竣工式が行われた。ただ、竣工直前の一一月一日に橋の一部が崩壊して、
通行人二名が負傷すると言う不祥事があった。